2002年度アフリカ毛布ボランティア隊 秋田第六支部 支部長 高橋淑予
2002年に「アフリカへ毛布をおくる運動」のボランテイア隊としてアフリカのエチオピアに2週間行かせて頂きました。エチオピアに行く一年前に同時多発テロがあり、アフリカへ毛布をおくる運動ができるのだろうか、もしかしたらその活動が無くなってしまうのではないだろうかという思いがありましたが、行くことが決まり、教会の皆さま、家族、友人から念じて頂きながら出発しました。国際情勢がまだまだ不穏な感じは飛行機の機内で荷物の確認をスチュワード(パーサー)が慎重に確認し、経由先でも時間をとっての確認からも感じられました。
エチオピアはアフリカの中で4番目に貧しい国であり、アンダースタンドの気持ちで国は違っても同じ兄弟姉妹に会いに行く気持ちが大切であると事前学習で教えて頂きその心で活動させて頂きました。エチオピアの日中は45℃、夜は10℃を切る程の寒暖の差があり、1枚の毛布は家1軒分。1枚の毛布で家族が暖をとっているとのこと。毛布を配布する拠点に私たちボランテイア隊がジープで向かっていると500m以上先から「ルルルルルーッ」と巻舌で甲高い喜びの声が一斉に聞こえてきた時、私の頬を涙が伝い(こんなにも、毛布を待ちわびているのか)と感動でした。毛布の梱包をほどくと毛布のメッセージが縫い付けてありました。現地の方はほとんど字が読めません。メッセージを目にして私はボランテイア隊として今ここにいますが、毛布を送って下さった多くの方と一緒に活動させて頂いているという一体感を感じました。皆さんの思いを感じながら、エールを送って頂いているようなあたたかい思いでいっぱいになりました。
ある拠点でお一人おひとりの肩に毛布かけている時に毛布を取り替えて欲しいとジェスチャーで訴えてくる方がいました。(ごめんなさい。)とジェスチャーで謝りながら答えました。見ると次の毛布はフカフカの毛布でその方の毛布は薄く傷みもありました。毛布は船で長時間かかって輸送される為どうしても傷みが出るのです。毛布の配布拠点に1日かけて、何十キロも裸足で歩いて来れたのです。取り替えてあげたいのにそれは出来ないことで心が痛みました。
私は何不自由なく、両親に育てて頂いていたことにどれ程感謝してきただろうか。ボランティア隊に参加させて頂き、食べられる、安心して家族と過ごせること、家があること、食材があること、水が飲めること一つひとつが当たり前ではなく、感謝なのだと思いました。
エチオピアはもともと貧しかった訳ではなく、隣国のエリトリアが豊かなエチオピアを妬み、空爆をし、内戦したと現地のガイドの方から説明があり、その境界にも行かせて頂きました。配布の途中昼食をとる為に林の中に入って行くとどこから来たのかと思う程アッという間に人が集まり年老いた女性が跪いて私のズックにキスしそれが欲しいとジェスチャ-で訴えてきました。私は(ゴメンなさい)とジェスチャ-で言って後髪を引かれる様な思いでその場を皆で去り次の配布先に向かいました。
2週間のエチオピアでの毛布の活動を通して私の人生観が変わりました。同じ地球に内戦で貧困となり苦しんでいる。毛布1枚で暖をとって、食事は1回。水もなく、病院もない。たどり着くまでに亡くなる方が多いという現実の中で精一杯生きているエチオピアの人々。今、こうして生かされ生きていることへの感謝の足りない私であったことに気づかされました。エチオピアの人たちは1枚の毛布をとても喜んでくれました。喜びの舞いも披露してくれました。
アフリカへ毛布をおくる運動が今年で終了することはとても残念です。困っている人、苦しんでいる人に思いを届ける運動に参加させて頂けたことに本部の皆さま、エチオピアのNGOの皆さま、教会の皆さまに感謝致します。ありがとうございました。 合掌
クロージング特設ページ | アフリカへ毛布をおくる運動 (mofu.org)
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「みんなの声」のコーナーに峯坂教会長さんの記事が掲載されています。
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